blog in 箪笥

やっぱりとりとめもないことを

俳句の「切れ」って結局何か? と考えると思ったよりややこしい気がする

以下のエントリを見かけて、触発されたので「切れ」についてちょっと書いてみようと思う。 note.com

このエントリは高校の国語の教科書での俳句の説明の誤謬を指摘するもので、至極真っ当なことが書いてある。

僕が俳句に触れたのは大学に入ってからだったので、高校の教科書の記述がこんなにひどかったとは気づかなかった。

しかし、高校の教科書の「切れ」理解よりも僕の興味を引くのは、こばるとさんをはじめとする俳句関係者の「切れ」理解だ。

ちょっと上記ブログから引用してみる。

僕は「句末の切れ」を「切れ」に含めたうえで、「切れ」に「意味上の切れ」「文法上の切れ」の二面性を認める解釈を採用している。

「句末の切れ」ってなんだろうか?

句末の切れというのは、句が詠嘆と共に強く締めくくられていることだという。

いくたびも雪の深さを尋ねけり  子規

「けり」で句が締め括られていて、ここに「切れ」があるでしょう、ということだ。

この概念自体は俳句の世界では割と一般的だと思うが、僕はなんだか納得がいかない。

ピストルがプールの硬き面にひびき 誓子

などは「句末の切れ」がないとされる。確かに終止形、切れ字などは用いられていない。 とはいえ、そこで俳句は終わっているのだから、「切れ」がないと言うことがいったい何を意味しているのかがすっきりしないのだ。

さらに「意味上の切れ」という概念を肯定する場合、句末は意味的には必ず切れているような気がする。

ここで僕がしたいことはもちろん論難ではなく、どうしてこういう「軋み」が生じてしまったのか(生じているとしたら)をちょっと考えてみることだ。

この軋みは、例えば「切れ字」として「や」「かな」「けり」が紹介された時から始まっている気がする。「や」は確かに句を「切る」けれど、「かな」と「けり」は句末にあることが多い。何を「切る」字なのか?

これを説明しようとするとやはり「句末の切れ」というアイデアに行き着いてしまう。

どうしたものか。

僕の意見では、この軋みは「切れ字」と「切れ」に関係がある、という誤解から始まっている。 こばるとさんが「切れ字=切れではない」とおっしゃっているところを、僕はさらに推し進めて「切れ字と切れは関係がない」とまで言いたい。

確認しておくと、「切れ」は「切れ字」よりずっと若い概念である。きっと適切な文献があるだろうと思うのだが、ぱっと示すことができないので傍証を挙げることにする。

例えば、正岡子規の『俳諧大要』には「切れ」という言葉は一回も出てこないし、句の中に切れを作ることを重要視するような記述もない。もっとも、切れ字についてもあまり触れられていない。

一、初めより切字、四季の題目、仮名遣等を質問する人あり。万事を知るは善けれど知りたりとて俳句を能くし得べきにあらず。文法知らぬ人が上手な歌を作りて人を驚かす事は世に例多し。俳句は殊に言語、文法、切字、仮名遣など一切なき者と心得て可なり。しかし知りたき人は漸次に知り置くべし。

虚子の『俳句の作りよう』を見ても「切れ」という言葉はない。こちらは切れ字については比較的重要視されている。

とにかく十七字を並べてみるに限ります。けれども十七字を並べるというだけでは、漠然として拠り所がないかもしれません。それで私はとりあえずこうおすすめします。 「や」「かな」「けり」のうち一つを使ってごらんなさい、そうして左に一例として列記する四季のもののうち、どれか一つを詠んでごらんなさい。

「切れ」ということを言い出したのが誰かという問題からは逃げることとして、例えば長谷川櫂『俳句の誕生』などでは「切れ」が俳句にとっていかに重要であるかについて語られている。

さて、それでは「切れ字」と「切れ」についてそれぞれどういう概念かを考えていきたい。

「切れ字」を考える上で重要と思われるのは、その概念が生まれた背景が「俳句」ではなく「俳諧」であった、つまり連句だったということだ。

連句というのは五七五からなる「発句」(=俳句の前身)から始まって七七の「脇句」、五七五の「第三」…というふうに複数人が句を連ねていく文芸・知的遊戯である*1

「発句は切れ字を含むべきだ」というのも「発句は当座の季題を含むべきだ」というのもこの背景を前提に「発句は連句全体を代表するような立派な姿でなければならない」という規定が出発点になっている。

そう考えれば、「切れ字」の役割というのは何をおいても発句と脇句を「切り」、発句に独立した詩性を与えることだ、と考えるのが自然だと思う。 言い換えれば、発句が一句として「立つ」ための「切れ字」だということだ。

ここにきて、現代の俳句では何を切っているのか判然としない「句末の切れ字」こそが「切れ字」のもっとも自然なあり方だと納得することができる。

一方、「や」はむしろ特殊な切れ字として考えることになる。

例えば「古池や蛙飛び込む水の音」において、「や」は上五とそれ以降を分断している。 しかし僕はこの分断の効果を、分断そのものではなく「水の音」への着地感に貢献するものとして見たい。

読者は「古池や」で一旦音調的・イメージ的に浮遊状態になる。それによって、続く「蛙飛び込む水の音」で一句が「着地した」という感覚が強められている。

これが「古池に蛙飛び込む水の音」だったとすれば、一句としての独立性が弱くなるのは直感的に明らかだろうと思う。

まとめると、「切れ字」には「かな」「けり」のように句末におかれて詠嘆するものと、「や」のように句を分断するものがあるが、どちらも一句の独立性や格調に寄与するためのものである。

次に、「切れ」について考えていきたい。 「古池」の句を例に、無理に句点をつけて書くと次のようになる。

古池や。蛙飛び込む水の音。

一句の中に二つのフレーズ(≒文。冒頭あるいは句点から句点まで)が存在している。 まさにこのことをもっともナイーブには「切れ」ていると呼ぶわけだが、ここでは一旦それを避けたい。「切れ」とは何かという話をする際に「切れ」という言葉をつかうのは更なる混乱の元となるからだ。(「切れ」と呼びたくない、という主張ではなくあくまで便宜的な話だ。)

そこで一旦、上のような句を「二フレーズ構成の句」と呼び、上五と中七の間の句点に相当する箇所を「フレーズの区切れ」とでも呼ぶことにする。

「フレーズの区切れ」と「切れ字」の関係は次のようになる。

  • 「切れ字」のうち、句の途中に出現する「や」型のものはフレーズの区切れを作る。
  • 同様に「フレーズの区切れ」は「や」型の切れ字を含む。
  • 「切れ字」は句が「一句として立つ」という目的を中心とした概念であり、「フレーズの区切れ」は単なる現象・事実・観察結果であるから、同じものを指す場合があるとしても見方は異なる。

僕としては、以上で議論を切り上げて「フレーズの区切れ」こそが「切れ」だと締めくくりたい気分だ。

しかしもう少し考えておかないといけないように思えることがある。 それは「切れ」が「配合」「取り合わせ」「二物衝撃」などと呼ばれる作句法とも一緒に語られることについてだ。

「配合」は句の中に二つの物事を登場させ、その関係の妙によって詩の効果を期待するものだ。

この「配合」(取り合わせ)は芭蕉の頃には存在した概念であるが、近代以降にはさらに重要なものとなった。二つのものを組み合わせるその組み合わせ方によって、17音という短い句型の中でも複雑なイメージを提示することができ、その中に近現代の俳句が発展する余地があったからだ。

「配合」と「切れ」に関する見解の変化を見るために、虚子の『俳句の作りよう』(初出1927年)と藤田湘子の『20週俳句入門』(1988)を比べてみたい。

『俳句の作りよう』では「題を箱でふせてその箱の上に上って天地乾坤を睨めまわすということ」という章にそれに相当する作句法が示されている。

年玉のいい句を作るのには、あまり年玉に拘泥し過ぎていると動きがとれなくなってしまってつくりにくいから、それよりもいい配合物を求めるがいい、そうしてその配合物と年玉とを結びつけて句を作るがいい、とこういうのであります。

と述べた後、例として以下のような句が「雪」と「年玉」の配合例として挙げられる。(抜粋、a〜dの印づけ筆者)

年玉や雪の小家の床の上 (a)

雪の戸に喜びみちぬお年玉 (b)

雪の戸に年玉を持ちはひりけり (c)

年玉をくれて雪搔いて帰りけり (d)

(a)と(b)は二フレーズ構成の句であり、各フレーズと配合された二物(雪・年玉)が対応している。一方、(c)(d)は一フレーズの中に二つの配合物が登場する。

ここでは「配合」ということは句の中に二つのモチーフが登場する、という程度の意味で用いられている。

一方、『20週俳句入門』ではどうかというと、「配合」と「一物」の二種類の作句方法があると紹介した上で

名月や男がつくる手打そば   森澄雄

という句を題材に以下のように説明している。

上五の「名月や」と、中七・下五の「男がつくる手打そば」とは内容が異なっている。中 七以下では「名月」のことは一切言っていない。せんじつめて言うと「名月」と「手打そば」の配合ということになる。

ここでは二物の「配合」に関して、一種の断絶がなければならないとする意識が見てとれる*2。 それは自然に、二つの配合物がそれぞれ別々のイメージ(俳句の人っぽくいうなら「景」)に含まれることを要求する。

つまり、上の例では「名月」を含む漠然としたイメージと、「手打ちそば」を含む具体的な イメージをぶつける、あるいは重ねることが「配合」だ、というふうに読める。

イメージが二つあるということは、句の中に「イメージの転換点」があることを意味する。 だから、「二フレーズからなる句」かつ「配合」の句が作られる場合、「フレーズの区切れ」と「イメージの転換点」は一致するのが自然だ。

湘子はこの本の中でいくつもの「俳句の型」を示しながら「配合」の句の作り方を指南しているが、それらの「型」に共通なのは句の中で二つの異なるイメージを提示することと、それらのイメージを二フレーズ構成の句の各フレーズに対応づけていることだ。

型・その1|季語や|     | 名詞|

型・その3|   |     | かな|(中七末尾に区切れ)

型・その3では例句として秋桜子の「金色の佛ぞおはす蕨かな」が挙げられている。確かに「仏ぞおはす。」という具合にフレーズの区切れがあり、なおかつそこがイメージの転換点にもなっている。

『20週俳句入門』自体では「切れる」という言葉は「フレーズの区切れ」に近い意味で使われていて、「イメージの転換点」を指すためには使われていない。 しかし、これらが一致する場合が型として示され、「イメージの転換点」にあたる術語は与えられないため、この本やそれに近い内容に触れた者が「フレーズの切れ」=「イメージの転換点」=「切れ」と(不正確に)考えるのは時間の問題だという気がする。

「配合」と「切れ」の関係をまとめたい。

  • 現代において、「配合」というのは二つの異なったイメージをぶつけたり重ねたりすることで句に奥行きを与える作句法である。
  • よって、「配合」の句には「イメージの転換点」が存在する。
  • 「イメージの転換点」と「フレーズの区切れ」の場所は一致することが多い。

「切れ字」⇄「フレーズの区切れ」⇄「イメージの転換点」というような図式が、僕の思い描いているものに近い。

だから、「切れ字」と「イメージの転換」を結びつけるような議論にはあんまり納得できない*3

あくまで「切れ字」は音調の方面から句の格調・着地感を高めるものだと思う。もちろん、句の意味・イメージということはそれの入れ物である言葉選びや音調と切り離すことができないものではある。そういう意味で密接な関係があるといえばあるのだけれど、それはもはや句の中の一音一音に言える話になってしまう。一音一音が切れ字であり、イメージの転換でもある。それは精神論としては魅力的だけれどもあまりスマートとはいえないな、というのが率直な思いだ。

さて、「フレーズの区切れ」と「イメージの転換点」という新しい用語を引っ張り出したけれど、「切れ」とは何かという結論からは逃げたまま、宙ぶらりんで終わることになってしまいそうだ。

強いていうなら、

「切れ字」→「句末の切れ」

「フレーズの区切れ」→「文法上の切れ」

「イメージの転換点」→「意味上の切れ」

とでも呼ぶことにしたら、結局は冒頭に取り上げたこばるとさんのブログの主張を繰り返すようなことになると思う。

僕が言いたかったことは、「切れ」という言葉は多面性を持つどころではなく、いくつかの異なった概念をまとめて読んでいる言葉だ、ということだ。

「切れ」以上にキャッチーな言葉もないだろうから、使い続けることに異存はないが、性質の違う複数のものを同じ名前で呼んでいるという感覚はあったほうが誤解が起こりにくくていいのではないだろうか。

言いたいことは大体以上なので、個々の句に関する各論的な応用を考えて終わろうと思う。

オムレツが上手に焼けて落葉かな 草間時彦

フレーズの句切れは、ない。イメージの転換点は中七の終わりにある。こういう場合に、中七の終わりに「切れ」がある、と言ってしまいたくなるのが我々であるけれど。

「かな」は切れ字だが、この句ではさりげなく使われているので格調云々というよりは語調を整えるくらいの役割と思う。加えて、たった三文字の「落葉」という季語の重さを(音調の方面から)補強する役割。

「切れ字」が発句と脇句を「切る」時代は(俳句界においては*4)終わっているので、「切れ字」の効果は句ごとに考えないと正確なことは言えないのかもしれない。

辛崎の松は花より朧にて 芭蕉

この句には「切れ字」も「フレーズの区切れ」もない。 それで、「第三句」っぽいと物議を醸したらしい*5。 それはすなわち、連俳が基準である世界において「切れ字」の有無は「発句らしさ」を決める重要なファクターだということだ。

一方で、この「発句」をものした芭蕉その人や現代の我々にとっては「切れ字」の有無はそんなに大きな問題ではないのだと思う。

同じように、ややこだわることになってしまうが、「句末の切れ」もその有無は大した問題ではなく、「松は花より朧にて」なのか「朧なり」なのか「朧かな」なのか、それぞれの効果がどういったものなのかということだけが問題で、句末の語形で句を分類することがあまり意味あることとは思えない。

ピストルがプールの硬き面にひびき  誓子

また「切れ字」「フレーズの区切れ」「イメージの転換点」なしの句だ。 文構成を見ると散文的だが、格調が低いとは思われない。「切れ字」のような古典的な韻律を拒否したことによって、(そうでなければ詩の世界に昇華される)現実を現実のまま厳しく描き止めた、そのこと自体による格調がある。

算術の少年しのび泣けり夏  三鬼

「フレーズの区切れ」かつ「イメージの転換点」がかなり後ろにある。

これは「切れ」の効果をいうべき句だと思う。「や」型の切れ字と同じように、「しのび泣けり」という中断によって句にアクセントが生じ、「夏」に着地している。 新しいところは、後ろすぎる区切れ位置によって着地し切れない独特の(キャッチーな)余韻が生まれているところだ。

コンビニのおでんが好きで星きれい  神野紗希

「フレーズの区切れ」はないが、中七終わりに「意味の転換点」がある。 このように、従来ならフレーズの区切れが作られるべきところを散文的につづける句法は現代ではしばしば見られる。

誓子の「ピストルが」の句をさらに推し進めた形で、韻律上はだらだらとした形をとることで現実意識に下降しようという動きに見える。

古典的な型を学び、格調高く完成度の高い句を作ろうとすると、できた句が自分の生活感覚と乖離してしまう、という違和感は現代の我々が直面する共通の問題の一つかもしれない。

俳句は、「切れ」は、どうなっていくだろうか。

*1:冒頭で触れたこばるとさんのブログによれば、教科書では俳句の5/7/5がそれぞれ初句・二句・三句と呼ばれているらしい。和歌の呼び方からの類推なのだと思うが、俳諧において発句(第一句)、脇句(第二句)…という用語がしっかりあって別のものを指している以上、単純な誤りである可能性が極めて高いと思う。

*2:補足しておくと、「配合」の距離感を絶妙にすると新しい感じがする、というようなことは子規とか虚子とか碧梧桐とかが書いているので、湘子の頃に出現したアイデアではない。文献を知らないので憶測だが、「ホトトギス」を中心とする大正・昭和俳壇で洗練されていったのだろうと思う。それをさらに整理して「型」として提示したという点で湘子の指導者的新しさはあるのだと思う。

*3:『20週俳句入門』では切れ字の効果を「詠嘆」「省略」「格調」としているので、湘子が「切れ字」と「配合」とは分けて考えていたことは確かだと思うし、それが正しい理解だと思う。

*4:連句をやっている人は現代にもいるし、そこでは終わっていないかもしれない。あるいは「切れ字」などという古臭いものは死んでいるのかな。知らないのでわからないですが誰かに教えて欲しいですね。

*5:「にて」で終わるのは第三句の基本型の一つだ。

虚子『五百五十句』を入手

『五百五十句』を古本屋で見つけて手に入れた。嬉しくて仕方がない。

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虚子『五百五十句』
昭和15年の本である。3cmくらいの厚みで、見た目には重厚感があるけれども手に取ると軽い。ページを開くと空気を含んでふわりと広がる。閉じる時もふうわりと閉じる。嬉しい。嗅ぐと古い紙の匂いがする。これも嬉しい。
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序文。このページは薄紙に刷ってある。

今の普通の本は一枚の紙の裏表に印刷されているけれども、この本は片面だけに印刷して、紙を折って裏表にしてある。いわゆる和綴の本と同じである。一方で装丁は洋装である。ちょっと珍しいんですよ、と古本屋の店主に教わった。僕は別にモノとしての古書マニアではないけれど、これも何となく嬉しい。

箱がついている。箱の表題はおそらく木版で、うまいのか下手なのかわからないような楷書で刷ってある。ちょっと左に寄っているしやや傾いている。嬉しい。 中の印刷は左右で高さが合っていない。もちろん活版であるから文字が少し凹んでいる。嬉しい。

誰が装丁したのかは気になるところ。全集の書簡の部でも開いて調べてみたいけれど、僕は大学の図書館に入れるのかしら。

箱をよくみているとちょっとした傷が目についた。路面に直接置かれたような傷である。戦前の道に置かれたとすると浪漫がある。あるいは最近のアスファルトに置かれた傷だったとしても一向に構わない。 この本は、虚子が用付けた印刷所から僕の手元まで、一本の線で繋がった歴史を歩んできたのだ。奥付には虚子の印が押してある。押したのは本人ではないかもしれないけれど、これもたまらなく嬉しい。

本を傷めるのが怖いので、45度くらいだけ開けて読む。いい句、うまい句はたくさんある。下らない句の方が嬉しい。

必ずしも鯊を釣らんとにはあらず

この句を入集させようと決めた虚子、その生きた虚子をこの本は知っていたのだね。(まあ、虚子の目に触れた個体とも限らないけれども)

肌脱ぎて虚子の書に鼻近づけて たんす

大文字山俳話、あるいはスーパーカブに乗った友人とのランデブー

これは半分くらいほんとの話なんですけども。

Sは春の夜をスーパーカブに乗ってやってきた。 彼は大学時代の後輩で、一度は東京に働きに出たが、なんやかんやあって京都で再会することになった。待ち合わせは東山今出川であった。

カブがコココ...と新品らしい清潔な音をさせて停まると、Sは挨拶もそこそこにカブの自慢を始めた。車体が軽いから、歩道を押して歩くのも簡単なのだ、とそんなことを喜んで話す。

僕は僕で、最近はずっと俳句にはまっているから、相手にかまわず俳句のことを話す。

最近、ずっとほしかった歳時記を安くで手に入れたんだよ~...そうなんすね、俺はキャンプ用品買ったんですよ、この子(カブ)に乗せていこうとおもって...そうなんだ、その歳時記は3巻構成で俳句も短歌も載ってるところがいいんだよ...

で、けっきょく、Sの方が大人だったのだな、俳句の話をしてくれることになった。


「俺は俳句について文章を書いて生きていきたいよ」

「じゃあそうしたらいいじゃないすか」

「俳句のこと書いたって、万が一日本で最も良い俳句評論家になれたとしたって食っちゃいけないよ」

「読者少なそうですもんね」

「少ないどころの話じゃない、いないんだよ。だいたい、短歌と違って、俳句 には純粋な読者がいない」

「なんでなんすかね~? 短歌は人気がある?」

「少なくとも一部にはある。俵万智が出たのがでかいよ。あれで現代の大衆を掴んだ」

「なるほど。でも俳句も大衆に受けちゃあいるんじゃないですか? 短歌より作り手多いですよね」

「そうなんだよ! 作り手は多い。でも読み手はいない。作り手ですら他の人の句をちゃんと読む人は一握りなんだから」

「それはなんでなんでしょう? 俵万智みたいなスターが出てこないから?」


言い忘れていたけれども、我々は夜の大文字に登ろうとしているのである。大文字は行ったなりで登れる気やすい山だが、夜は暗い。怖いというわけでもないけれども、話し続けていないと心もとない。 鳥獣の鳴き声はほとんどせず、ただ何となく夜の山の匂いと音が風に乗ってくる。それで、われわれは俳句の話をしているのである。


「出てないことはないんだよ。直情型ヒロインみたいなタイプの俳人はいたし、それなりに受けた。でも現代の大衆には届かないんだ」

「なんで?」

「なんでかな。たとえば、短歌は一つのファッションとして機能するよね。文学に浸る自分を実現するための。わかる?」

「わかりますよ、煙草と本を一緒に撮ってSNSに上げるやつでしょう」

「君もちょっとそういうところがある?」

「失礼だな」

「それでさ、短歌はそういうところがあるんだよ。別に悪くいっているわけじゃないよ。文学を楽しむということと、文学っぽさを楽しむことは簡単に切り分けられるものじゃないし、沢山の後者がいて前者が存在できるんだから。むしろそうじゃないということが問題なのであって」

「俳句だってファッションなんじゃないですか。有閑マダムとかがワタシ嗜んでますわよ、という」

「それだ! だから、俳句を鑑賞することじゃなくて作ることがファッションになってしまっている」

「もうちょっとで大の字につきますよ」

「階段きついな。なんで読むことがファッションにならないんだろう」

「もうおじさんだから太ももがつらいっすわ。読むことをファッションにしたいんですか?」

「そうとも言える」

「やっぱり『エモい!』を出さないと若者のファッションにはならないんじゃないですか。『風流』とかだとねえ」

「別に現代俳句は『風流』とかではないんだが。ついたな」

「つきました」


大文字からは京都の街が一望できる。信号の明滅、寺社の闇、明るい、また暗い建物のかたまり、向かいの西山。 Sはそそくさと折り畳みキャンプ用椅子を取り出して優雅に瓶ビールを飲み始めた。


「いつ来てもいいですね...。なんか飲みましょう」

「なんにも買ってねえや、一口おくれ」

「しょうがねえな...」

「俳句は断じて風流ではないんだぞ」

「はいはい、酒を飲め、酒を」

「かたじけない...。しかし風流ではないぞ」

「椅子、座ってみますか?」

「いいや、こけたら怖いから。聞いてくれ。芭蕉が風流だったとしたら、それは風流が当時の最先端の感覚だったからで、懐古趣味的なものではないんだ、俳句は。すくなくとも懐古趣味的でないものも多い。『エモい』でくくれるようなものもある」

「しつこい人だ...。じゃあなんで大衆に受けないんですか」

「そこなんだよ問題は...。これは仮説だけど、俳句には積極的な解釈が必要だからじゃないかな」

「積極的な解釈とな」

「短歌は十分に長いんだよ。俳句は短すぎる。たとえば

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

とか

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

とか、短歌はひとかたまりの出来事を説明しきることができる。ときには心情 を述べることすらできる。そうしたら、読者が抱くべき感情というのは考えなくてもわかるじゃん」

「エモいってことですか?」

「『エモい』に集約してしまったら元も子もないけど、まあそういうこと。読者の心情の落としどころは明らかだよね、言語化するしないに関わらず。何とも言えない感情になるけど、その感情は自動的に得られるいうかんじ」

「諸説ありそうだけど見逃してあげます。俳句は?」

「短すぎるから、出来事の断片しか言えない。

荒海や佐渡に横たふ天の河

どう思った?」

「少なくともエモくはないすね。でもやっぱり風流なのでは? 自然を愛でる心じゃないですか」

「そうじゃないんだよ。もっと感情移入してよんでくれ。荒海~どっぱーんざざーん。潮の匂い。遥か向こうに朧げに佐渡島。見上げれば? 天の川ふぁーー! だよ」

雄大ってことですか」

雄大もそうだし、むしろその情感そのものなんだよ。そこにいるということ」

「とは?」

「別の例を挙げるとするならばだね、

春山を来れば京都は夜に浮かぶ

と今詠んだとするとこれはどんな俳句?」

「今のわれわれじゃないですか」

「そう! 風流とかエモとか関係なく今、ここ現実の感触なんだよ。そういう風に読んでほしいわけ。で、これは今この場で読んでるから君に伝わってるけど、これが赤の他人にも伝わったら良い俳句なんです」

「これはいい俳句なんすか?」

「自分で作ったからわかんねえな。とにかく、俳句はかなり自分から分かりに行かないと良さが見えてこないし、そうじゃないと、風流とかそういうつまらない概念に簡単にまとめてしまうことになる」

芭蕉ですらそうってことですか」

「それは諸説あるな。芭蕉から紆余曲折を経た現代俳句の一般的な読み方がそうであるというだけで、芭蕉の句を今言ったふうに読むのは本来は正しくない。荒海の句も寝床で詠んだらしいし」

「なんだ」

「でもそういう邪道の読み方でさえ素晴らしさを保つのが古典なんだよ」

「古人、半端ないすね。え、それで、じゃあ、俳句がはやってないのは読むのが難しいからってことが言いたいんですか」

「そうかも。一目でわかんないし、どう読むかを自分できめないといけない」

「短歌だってそういう面はありますよね」

「ある。あるが、短歌はどう読むかを決めないでも読むことができる。その程度の長さがあるんだよ」


話は途切れ、Sは煙草を取り出した。


「下山しますか」

「そうしよう」

復路というものは随分短く感じられるものである。われわれは黙々と山道を下り、あっけないくらいすぐに登山口にたどり着いた。


「バイク、乗って帰るの」

「いや、押して帰ります。ビール飲んじゃったんで。この子を押すのは苦じゃないっすから」

「悪かったね」

「いや...。途中まで一緒にいきましょう」

「うん」

「思ったんすけど」

「...」

「頑張って句を理解して、いいとか悪いとか考えるのはエモくないっすね」

「...」

「こんど一緒にキャンプ行きましょう。この子意外と沢山荷物乗るんすよ」

「いいね。俺、キャンプ用具とか持ってないけど」

「男一人分くらいなら貸してあげます。ぜひに」

「そりゃぜひに」

「じゃあ、俺はこっちの道なんで。また近いうちに会いやしょう」

「うん。元気で」

「そちらこそ。キャンプいきましょうね」

そうしてわれわれは別れた。キャンプへはまだ行っていない。

春の闇言ひ残されしこといくつ

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春の月


謝(罪の)辞

S君は実在の人物をモデルにしたものだけど、話した内容はほとんどが嘘っぱちです。Sのモデル氏、ごめんね。だから、Sと本人の間には何の関係もないです。フィクション。

二つ出てくる短歌は俵万智のもの、「荒海」の句は松尾芭蕉の句、あと二句は自分の句です。

「荒海」の句は、十全な解釈としては佐渡と自分を隔てるイメージと、天の川が織姫彦星を隔てる(間に「横たわる」)イメージを重ねるのが正解だと思います。ここで「僕」が言ってるのは、情景を素直に受け取っても鑑賞が可能だよね、ということにすぎません。

トイカメラをもらった

トイカメラっていう、ペンダントくらいのサイズなんだけど写真が撮れるというおもちゃをもらった。できるのはシャッターを押すことだけ。

https://www.kenko-tokina.co.jp/imaging/camera/assets_c/2016/07/4961607437438-thumb-180x121-23527.jpg トイカメラ DSC Pieni | ケンコー・トキナー

どうも写真を趣味にしている人々の間では「味を出す」ために使われるっぽい。僕は別に写真に造詣は深くないというかむしろ下手な部類で、下手だから、操作の少ないカメラが手に入って嬉しい。

表現手段として写真を撮っている人を除くと大概の人は日常の、あるいは非日常の記録として写真を使うのだろう。つまり、過ごした時間の断片を保存しておくのだ。でも、現実世界あるいは体験ということに比べて、写真におさめることのできる情報はあまりにも少ない。だから、写真をとる人は構図だとか設定だとかを上手い具合にして、現実世界の大事な部分を抽出しようと努める。

それって、例えば原本のコピーを取るような簡単なことではないですよね。木から仏像を掘り出すような途方もない行為に思えるんだけど。一つの現実の場面には勘所がいくつかあってそれを上手に掬い取ると、つまり他の部分を大量投棄すると、良い写真になるんじゃないかな。別に写真に限った話ではないけど。

僕はカメラ(というかスマホ)を構えても、どこを捨ててどこを拾ったらいいかが全然ピンとこない。多分スマホという媒体にも問題があって、画質も結構いいし操作が簡単だから、世界が360度ディスプレイみたいに見えてしまう。そのディスプレイの一部をスクリーンショットするような。だから、「写真」という完成物を独立にうまくイメージできないのだな。

別に写真を上手に撮ってもどうするということはないし、xxへ行った、ooがあったというようなことは記録できるので、それでもいいのだけれど。 僕にだって、取る対象物が決まっているときにそれを画面に含めるくらいのことはできるから。でも、そういう取捨選択を迫られているという感覚はあって、写真を撮るたびに自分がそれをうまくやれないことに対する、つまり必然的な写真が撮れていないことに対する不満が生じてしまう。 まあ、それも日常生活のほとんど全てのことに言えるので写真だけをあげつらうこともないのだけど。

トイカメラトイカメラには、素晴らしいことにファインダーがない。(あるけど何も見えない、つまり飾り) だから、写真を撮るときには当てずっぽうにカメラを構えてシャッターを押すしかない。責任を感じなくていいので気が楽。 自由度が少ないから、このくらいなら自分にも選択できるかな、と思うし、失敗したらカメラのせいにできる。イェイ。

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建物全体を撮ろうとしたのに全然収まっていなかった

あと、なんか雲がかっこよく映る。それもイェイ。

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郵便局を撮った

地面に食材を置くことについて、あるいはどうでもいい文章について。

どうでも良いことをどうでも良く書いて軽い気持ちで発表したいと思った。僕は文章を書くのは好きなのだが、一度書き始めると長くなる傾向になるし、さらに悪いことには押し付けがましくなる傾向にある。

そんなわけで、練習としてふと思ったことをブログに書いてすぐにリリースするというのをやってみようと思う。

ここまでがどうでもいい文章の話。次が実践編で、地面に食材を置くことについての話。

読者諸賢は(いらっしゃるとしたらね!)地面に食材を置くことに抵抗はあるだろうか。僕はあんまりない。なんでこんなことを思ったかというと恋人がそういうことを嫌がっていたからだ。気持ちはわかる。僕だってご飯の盛られた茶碗を地面に置かれたらちょっと嫌だ。ただし、ピクニックなど地べたに座って食べるときに地面に置かれていることは気にならない。

なんで嫌なのかというと、汚い気がするからだろう。気がするというのは、野菜なんかもともと地中にあるし、お店では食材(野菜でも、調味料でも)の入ったコンテナを地べたに置くこととかザラだろうから、買った後にどこに置いたって誤差の話でしかない(と思う)からだ。別に批判的に言っているのではない。よくわかる話だ。例はいくらでも思いつくがあまりにも思いつくから各自で考えていただきたい。

さて、ここで思いついたことは、「汚いと思う」のと「汚くて食べたくないと思う」の間に若干の懸隔があるんじゃないかということです。地べたに置かれたものは僕だって若干汚いと思う。でもその食品を食いたくないあるいは使いたくないという気にはならない。洗えば気にならない。ご飯にハエが止まって飛んでいっても別に食える。時々ラーメンに髪の毛が入ってることだってあるが、そんなに気にならない。(そういうとき、同席している人がいたらその人にバレないかどうかの方が気になってしまう。欠陥があるのは僕のラーメンなんだけど、なんとなく僕に欠陥があるような気がしてくる) しつこいようだが、汚いとは思うんです。でもちょっとくらい汚くても食べてしまう。

しかし、ある人に面と向かって「この飯は汚い!」と宣言されたらなんとなく食いたくない。カレー食ってるときにウンコの話をするな! の話だ。 僕はだいぶ汚いのにも耐えられる。地べたに落ちた卵焼きとかも食える。でも食べたくないという嫌悪感を持ってしまったらそれにはだいぶ弱い。絶対食べたくない。変な話、地べたに落ちた卵焼きを「地べたに落ちた卵焼きです」と差し出されたら絶対に食わない。

結論はないけど、これからは食材を地面に置くようなことはしないようにしようと思う。どうでもいい文章が書けてよかった。

揚雲雀

ちょっと開けたところへ出た。畑が雪に覆われている。人家は見えない。晩冬の日があたりを平等に照らしている。 畑のふちにはぱらぱらと低木の茂みがあって、硬い葉に雪を少しずつ乗せている。 ところどころに露出した畝を歩いて、畑の半ばまでやってきたところで、僕は揚雲雀を見つけた。

見つけた、といっても本物の雲雀を見たわけじゃない。だいたい、揚雲雀というのは上空で囀る雲雀の声を言ったもので、それを見るというのはおかしな言い方だ。 正確にいうなら、僕はそいつを見つけ、ついでそいつを揚雲雀と名付けた。

揚雲雀は低木の陰にうずくまっていた。一抱えくらいの大きさがあって、たぬきみたいな黒茶色の毛にもさもさと覆われている。嘴は細く長かった。どっちかというと豪州だかに住んでいるキウイに似ているようだ。 他にこれと行って眺めるべきものもなかったので、僕はしばらくそいつを眺めていた。五分くらい我々は微動だにせずそこにいた。

そして出し抜けに揚雲雀は飛びたった。 囀るために飛びたったんだ、と直感された。しかし、上空に舞い上がるには彼はあまりにもくたびれていた。僕は雲雀の生態にも、ましてキウイの生態にも詳しくないけれど、長い冬が彼から食料を奪っていることは簡単に想像できた。

そんな訳で揚雲雀は一メートルくらい飛び上がってそこで静止してしまった。細長い嘴は垂直に天をさしていた。嘴の下にはふさふさした楕円体の体があるばかりで、翼のようなものはない。 冷静になるとどうしてそんな鳥が飛べるのか不可解だけれども、そのときは別になんとも思わなかった。 ただ、飛翔の意志と重力がぴったり一致したのだ。 揚雲雀は一生懸命飛翔の意志を持ち続けたけれど、それより一センチも上へはいけないようだった。彼はマグリッドの岩よろしくそこに留まっていた。 僕はやはり立ちすくんだまま揚雲雀を眺めていた。

やがて、飛び上がった時と同じ唐突さで揚雲雀はくるりと身を返し、地面へ落下した。さっきは空へ向いていた嘴が、今度は深々と雪に突き刺さっている。 かわいそうに、囀ろうにも口が開けまい。

何かしてやれることがあるとは思えなかったけれど、立ち去ってしまうのも気が引けて、とりあえずぼんやりと周りの景色に目を移した。 相変わらず特に何もない。雪の積もった畑がいくらか広がり、畑が終わるところから山が始まっている。針葉樹(おそらく杉)に葉の落ちたブナ科の木々がポツポツと混じる、典型的な日本の山。空を仰ぐと、すっかり午後の太陽だ。雪は徐々に緩んできている。

視線を戻すと、揚雲雀は立ってこっちを向いていた。先ほどは気がつかなかったが首が長い。あるいはこいつはさっきの揚雲雀とは違う鳥なのかもしれない。彼はその首をぬ、ともたげて

「あつい」

と言った。

喋る鳥なんて少々気味が悪い。僕はその場を立ち去ることにした。もはや彼が保護を必要としているようにも見えなかった。

僕はまた畝を辿って山をくだり始めた。 今さら、雪が靴に入って冷たいことに気づいた。なんとなく足先がおぼつかない。足を引っ張るような、振り回すような感じで息を詰めて歩いた。 百メートルほど来たところで振り向いて見ると、揚雲雀はまだこちらをじっと見ていた。

首が一段と伸び、さらには体全体も大きくなって心なしかエミューのような風貌を帯びている。 ますます気味が悪くなって、足がもつれるのも構わず、畑を抜け、山道に駆け込み、そのまま走れるだけ走った。 息が切れたところで、なんとなく予感を感じつつも後ろを確認すると、ずっと向こう、木々の梢の上にぐーんと高く揚雲雀の首が屹立している。そして迷いなく僕を見ている。

あと十歳若かったら、と僕は思った。あと十歳若かったら、あの珍妙な生物と涙ぐましい愛情を育むことができたのに。