blog in 箪笥

やっぱりとりとめもないことを

地面に食材を置くことについて、あるいはどうでもいい文章について。

どうでも良いことをどうでも良く書いて軽い気持ちで発表したいと思った。僕は文章を書くのは好きなのだが、一度書き始めると長くなる傾向になるし、さらに悪いことには押し付けがましくなる傾向にある。

そんなわけで、練習としてふと思ったことをブログに書いてすぐにリリースするというのをやってみようと思う。

ここまでがどうでもいい文章の話。次が実践編で、地面に食材を置くことについての話。

読者諸賢は(いらっしゃるとしたらね!)地面に食材を置くことに抵抗はあるだろうか。僕はあんまりない。なんでこんなことを思ったかというと恋人がそういうことを嫌がっていたからだ。気持ちはわかる。僕だってご飯の盛られた茶碗を地面に置かれたらちょっと嫌だ。ただし、ピクニックなど地べたに座って食べるときに地面に置かれていることは気にならない。

なんで嫌なのかというと、汚い気がするからだろう。気がするというのは、野菜なんかもともと地中にあるし、お店では食材(野菜でも、調味料でも)の入ったコンテナを地べたに置くこととかザラだろうから、買った後にどこに置いたって誤差の話でしかない(と思う)からだ。別に批判的に言っているのではない。よくわかる話だ。例はいくらでも思いつくがあまりにも思いつくから各自で考えていただきたい。

さて、ここで思いついたことは、「汚いと思う」のと「汚くて食べたくないと思う」の間に若干の懸隔があるんじゃないかということです。地べたに置かれたものは僕だって若干汚いと思う。でもその食品を食いたくないあるいは使いたくないという気にはならない。洗えば気にならない。ご飯にハエが止まって飛んでいっても別に食える。時々ラーメンに髪の毛が入ってることだってあるが、そんなに気にならない。(そういうとき、同席している人がいたらその人にバレないかどうかの方が気になってしまう。欠陥があるのは僕のラーメンなんだけど、なんとなく僕に欠陥があるような気がしてくる) しつこいようだが、汚いとは思うんです。でもちょっとくらい汚くても食べてしまう。

しかし、ある人に面と向かって「この飯は汚い!」と宣言されたらなんとなく食いたくない。カレー食ってるときにウンコの話をするな! の話だ。 僕はだいぶ汚いのにも耐えられる。地べたに落ちた卵焼きとかも食える。でも食べたくないという嫌悪感を持ってしまったらそれにはだいぶ弱い。絶対食べたくない。変な話、地べたに落ちた卵焼きを「地べたに落ちた卵焼きです」と差し出されたら絶対に食わない。

結論はないけど、これからは食材を地面に置くようなことはしないようにしようと思う。どうでもいい文章が書けてよかった。