blog in 箪笥

やっぱりとりとめもないことを

虚子『五百五十句』を入手

『五百五十句』を古本屋で見つけて手に入れた。嬉しくて仕方がない。

f:id:tancematrix:20210623234441j:plain:w300
虚子『五百五十句』
昭和15年の本である。3cmくらいの厚みで、見た目には重厚感があるけれども手に取ると軽い。ページを開くと空気を含んでふわりと広がる。閉じる時もふうわりと閉じる。嬉しい。嗅ぐと古い紙の匂いがする。これも嬉しい。
f:id:tancematrix:20210623235109j:plain:w150
序文。このページは薄紙に刷ってある。

今の普通の本は一枚の紙の裏表に印刷されているけれども、この本は片面だけに印刷して、紙を折って裏表にしてある。いわゆる和綴の本と同じである。一方で装丁は洋装である。ちょっと珍しいんですよ、と古本屋の店主に教わった。僕は別にモノとしての古書マニアではないけれど、これも何となく嬉しい。

箱がついている。箱の表題はおそらく木版で、うまいのか下手なのかわからないような楷書で刷ってある。ちょっと左に寄っているしやや傾いている。嬉しい。 中の印刷は左右で高さが合っていない。もちろん活版であるから文字が少し凹んでいる。嬉しい。

誰が装丁したのかは気になるところ。全集の書簡の部でも開いて調べてみたいけれど、僕は大学の図書館に入れるのかしら。

箱をよくみているとちょっとした傷が目についた。路面に直接置かれたような傷である。戦前の道に置かれたとすると浪漫がある。あるいは最近のアスファルトに置かれた傷だったとしても一向に構わない。 この本は、虚子が用付けた印刷所から僕の手元まで、一本の線で繋がった歴史を歩んできたのだ。奥付には虚子の印が押してある。押したのは本人ではないかもしれないけれど、これもたまらなく嬉しい。

本を傷めるのが怖いので、45度くらいだけ開けて読む。いい句、うまい句はたくさんある。下らない句の方が嬉しい。

必ずしも鯊を釣らんとにはあらず

この句を入集させようと決めた虚子、その生きた虚子をこの本は知っていたのだね。(まあ、虚子の目に触れた個体とも限らないけれども)

肌脱ぎて虚子の書に鼻近づけて たんす