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やっぱりとりとめもないことを

『起きられない朝のための短歌入門』の感想を、言うぜ

平岡直子 我妻俊樹 『起きられない朝のための短歌入門』っていう、短歌入門書(?)が書肆侃侃房から出版された。

www.kankanbou.com

↑これ。

11月頭に出た本で、10月くらいに予約して買ったけど、そういうのって初めてかもしれない。大学生のときは図書館と古本屋にばっかり行ってたから。というかそんなに本読んでなかった。

でも世に出たばっかりの本も読むといいですね。

読んだ感想としては、面白かった。けども、全然入門書じゃない。

じゃあなんだというと、対談集です。テーマは確かにお二人の初心者のときのこととか、「短歌ってなんだ」的な話題だったりとか、スランプに関してだったりとか、入門書の目次に出てきそうな感じではあるんだけど、別にそれに対して答えを与えるわけでもないし、何かを提示するようなことすらあんまりなく、それぞれの考えを楽しそうに喋っている、だけ。

というか、よくタイトルを見ると「短歌入門」とは書いてあるけど入門書とは書いてない。「起きられない朝のために、短歌に入門するといいよ」というテーマの対談集なのかも。実は。帯には「入門書」ってどーんと書いてあるけどこれは嘘。


短歌って、今は完全に一種のサブカルチャーというかポップカルチャーで、見よう見まねでやる人がいっぱいいて流行ってる分野ですよね。

短歌を世間に広めようとして俵万智が、あるいは穂村弘が入門書を書くのとはもう時代が違うわけで、「短歌っていいんだよ」「簡単なんだよ」とかいう必要なくて、そんなことみんな知ってて、なんとなく書いて、なんとなく受容されている。

だから、教師はあまり必要とされていない。どっちかというと先輩とかがいるとよくて、ヘラヘラしながら「まあ、俺もよくわからんけど、こう思ったりするけどな」みたいなことを言ってほしいし、話半分で聞きながら、いつまでもわからないままのつもりで書く、みたいなのが標準的作歌姿勢なんだと思う。

いや、まあ、カルチャーセンターみたいなところで、「短歌を学びたい」みたいな需要はある、が、なんか、そういうのはダサいというか、短歌ってそういうことじゃないよな、という方がメインストリームであるようなジャンルになっている。

だから、「短歌入門」が対談集であるというのは、まさにちゃんと今の短歌文化の中から出てきた「入門書」な感じがして、外堀を埋めるようなやり方しかできず、またそれが成功している本だと思います。

思いますっていうか、そういうこと(ちょっと違う切り口だけど)もこの本に書いてあった。

内輪的というか、マニアックというか、短歌すでにやってる人しか分からんやろみたいな話題も出てくるように感じるけど、読者って意外とそういうの楽しめるので、楽しい。

十全に分からなかったとしても、そういう内輪の雰囲気を嗅いで、それに惹かれて入ってくるみたいなことはあるし、身近に短歌仲間がいない短歌初心者とかにはそういうのが一番欲しいものですらあるかも知れない。

僕は俳句を好きでたまに作るけど、きっかけとしては正岡子規の随筆を読んで、彼の家にいろんな人が集まってガヤガヤ俳句を作っている雰囲気みたいなものに惹かれたというのが一番なので、人によるのかも知れないけどそういうことはある。

本の話に戻るけど、総じて言えば、なんか知りたいことは全部聞けた。 特に、よく分からん短歌って結構あるけど、著者お二方はどっちかというとよく分からん歌を作る方の人たちで、作り手が何を考えてるのかとか、分からん短歌の作り手が別の作り手の分からん短歌を見て何を思うのか、とかが部分的にわかった、のでとても嬉しい。

みんなも知りたいこと全部聞こう。