先日、小樽市総合博物館さんが以下のようなツイートをされていました。
速報です。
— 小樽市総合博物館 (@OtaruMuseum) 2022年3月6日
3月6日、午前9時ころにJR朝里駅前で群来ている風景を確認しました。
朝方、NHKにも画像を提供している、中山様からご連絡をいただき、朝里駅までいきましたが、今日は晴天のこともあり、くっきりと青い海と白濁した群来た水面を撮影することができました。→ pic.twitter.com/mJJ3YTtnca
「群来(くき)」とは鰊などの魚が産卵のために沿岸に押し寄せることを言います。春の季語で、俳句での用例は知っていましたが、生きた単語として使われているのを見るのは初めてで少し興奮しました。
とりわけ興味を惹かれたのが「群来た」という動詞で使われている点です。 自分の勉強不足かもしれませんが、俳句においては名詞として使われているところしか見たことがありません。
どんよりと利尻の富士や鰊群来 山口誓子
これについて後日補足のツイートがありました。
先日、朝里で海面が白濁した「群来(くき)た」写真をご紹介しました。その際に、「群来とは何か説明するべき」「「群来た」のように動詞形でも使うのか」などのコメントをいただきました。
— 小樽市総合博物館 (@OtaruMuseum) 2022年3月7日
半世紀以上の間に、ニシン漁に関する用語の多くは「死語」となっていました。「群来る」もその一つです。→ pic.twitter.com/Zruzejtbkj
このツリーで引用されている文献は以下の二つです。
くき ニシンの大群が沿岸に押し寄せて産卵するときは付近一帯は白子のため、海水が米のとぎ汁か牛乳を流したように白色の状態となる。この産卵動作を群来(くき)るという
北浜仁『ニシン場の用語』1987、「北水月報」44(前述ツイートより孫引き)
昨十三日午前十時過ヨリ鰊群来セシガ
『西川家文書』1980、小樽市総合博物館蔵
以上でわかるのは、「群来」には少なくとも二つの動詞が存在するということです。「群来する」「群来る」ですね。 「群来する」のように「名詞+する」という複合動詞は珍しくない(料理する、発見する…)一方、やはり「群来る」はちょっと独特な感じがします。
博物館さんが「群来た」と表現されていることからわかるように、この動詞はどうやら上一段活用*1のようです。
群来ず/群来て/群来る/群来るとき/群来れば/群来よ
という活用です。「群来る」という動詞に考えうるもう一つの活用は五段活用で、
群来らず/群来りて(群来って)/群来る/群来る時/群来れば/群来れ
という活用ですが、こちらではないということです。名詞が五段活用の動詞に派生するというのは(若者言葉がすぐに思い浮かびますが、それ以外でも)しばしば起こるのではないかと思います。(若者言葉について書かれている文献はいくつか見つけたのですが、近代以前にどうだったかに関しては自信がないのでどなたかご存じだったら教えてください!)
料理→料る/コピー→コピる など
そんなわけで、「群来」という名詞が先にあって動詞がそこから派生したとすると五段活用になる気がするのですが、そうではない。やや不思議に思ったので、本当に「群来る」には上一段活用しかないのか? (五段活用は存在しないのか?)ということを検証してみます。
検証に使うのはこちら!
国立国会図書館デジタルコレクションで提供している資料の中から、著作権の保護期間が満了した図書資料・古典籍資料全部(約33万6千点)が検索可能です。
すごい!
さっそく五段活用に特有な活用形「群来っ(た)」や「群来ら」「群来り」「群来れ」などで検索してみます!
…が全然ヒットしません…。
唯一見つかった用例がこちら
鰊の群來らない理由は、潮流にあるのか、水溫にあるのか、それとも鰊の習性の變化にあるのか、日本の水產試驗所では、まだ的確な研究に到達してゐない。
河東碧梧桐『山を水を人を』1933、日本公論社
河東碧梧桐は四国出身の人ですから、北海道方言を不正確に活用させているのかもしれません…し、ひょっとすると彼が話した現地の人が五段で活用させていたのかもしれませんが、その辺は真実は分かりません。 少なくとも書き言葉としては五段活用はほぼ存在しないという結果になりました。
一応、上一段活用の用例があることも確認しておきます。
『俚言集覧』1990、村田了阿 編 井上頼圀・近藤瓶城 増補
https://lab.ndl.go.jp/dl/book/991569?keyword=%E7%BE%A4%E6%9D%A5&page=211
その麓のあたりとおぼしくて、けふりのほそうむすひたつを、今や鯡の群來ぬらんかしと戯れり。
菅江真澄『ゑみしのさへき』1932、秋田叢書刊行会、「秋田叢書 別集」 第5
(原典は1879年)
少し調べたところ、菅江真澄というのは江戸時代の旅行家で、上記の文献は北海道に旅行した際の日記のようです。ゴミを燃やしている焚き火の煙を見て「もう鯡(にしん)が群来ているみたいだね」と冗談を言っている場面で、面白いです。(この日は水無月二日なので群来の季節ではないですね)
このほかにも上一段で活用させている例はたくさん見つかったので、文献を見る限り「群来る」は一段活用だということで間違いがなさそうです。
「クキル」という動詞が先に存在して、その連用形である「クキ」が名詞として使われるようになったのではないか? などと妄想されますが、僕は専門家ではないのでなんとも言い切れません。
釣る→釣り/踊る→踊り みたいな…
最後に、(往生際悪く)現代での「群来る」の活用について調べてみます。 意外なことに、現代の人々は五段活用と一段活用を両方使っていることがわかりました。
「群来た」の検索結果(2022/03/21)
「群来った」の検索結果(2022/03/21)
まあ、これは「群来た」(上一段)が標準的な活用で、「群来った」の方は「群来」という名詞から最近新たに派生した「若者言葉」だと考える方が妥当そうです。あくまで印象ですが、釣り人の間で使われている言葉のようです。 以上!