blog in 箪笥

やっぱりとりとめもないことを

jpopの「季語」 〜キスマイ『王国の蝶』における季節の揺らぎ〜

雑話です。

ちょっと前のことですが、アイドルユニットkis-my-ft2の千賀さんと横尾さん*1が楽曲『王国の蝶』をリリースされました。

楽曲の公式サイト

歌詞

千賀さんと横尾さんは「プレバト!」で俳句の「名人」であらせられまして、この楽曲の歌詞はプレバトの縁で俳句講師夏井いつき先生がお書きになっています。

より正確に言えば、夏井先生が既に発表されている俳句のうちいくつかを構成して歌詞にしてあるような感じです。裏話が夏井先生のyoutubeチャンネルで聴けます。

youtu.be

さて、素性もなかなか面白いこの曲なのですが、さらに興味深いのが歌詞における「蝶」の解釈についてです。

僕はこの「蝶」が、モンシロチョウやモンキチョウといった小さくてふわふわ飛ぶような可愛らしい蝶か、あるいは揚羽蝶オオムラサキといった大ぶりで色鮮やかな蝶かということで2通りの解釈がされうるんじゃないかと考えています。

こんなことをわざわざ言うのは、この歌詞が歌詞ではなく「俳句」であったときには解釈の揺れは起きない、起きようがないからです。

「蝶」は春の季語です。この季語が指し示すのは前者の蝶、春の蝶のみです。ですから、夏井先生の「俳句」であったときにはこの蝶はモンシロチョウだかモンキチョウだかそんな感じの小さい可愛らしい蝶だったわけです。後者の蝶、色鮮やかな大ぶりの蝶は「夏の蝶」などといって区別されます*2

蝶や今もう戻れない高さまで

パタパタっとせわしなく懸命に飛んでいるモンシロチョウなどが想起されます。

しかしですね、俳句に曲がつき、アイドルが歌ってjpopとなった今、この蝶は本当に迷いなく「春の蝶」と言えるでしょうか...?

曲を聴いてみると、「大人な」「ちょっと翳りのある」「情熱を持った」イメージであると僕は感じました。気分としてはこれはむしろ「夏っぽい」ものだと思いますし、モンシロチョウというよりは揚羽蝶にご登場いただきたいような感じがします。

ポルノグラフィティに『アゲハ蝶』という有名な曲がありますが、この曲はズバリ「アゲハ蝶」=夏の蝶を主題にしています。実際「夏の夜の真ん中月の下」と歌詞にも季節が明示されています。

そして、僕は『王国の蝶』に『アゲハ蝶』と似た曲想を見るのですがいかがでしょう。


季語は日本の四季の中で営まれる日常の集積です。幾多の俳人が蝶を見、そこに春を感じて句に読み込む中で蝶と春のイメージが分かち難く結ばれていきます。

jpopにおいても、もちろん「季語」などという形式ばったものはありませんが、多くの歌が歌われる中で免れ難く定着する季節のイメージというのは確実に存在します。

揚羽蝶はjpopにおける「夏の季語」と言えます。僕は他にもスガシカオの『19才』なんかを思い出します。これも、翳りがあって都会的な孤独を歌っているところに『アゲハ蝶』との共通点を感じます。

都会的な、と言えば『王国の蝶』にも連想される部分があって、夏井先生この動画に曰く

蝶や今もう戻れない高さまで

という句は、蝶が(もちろんこの蝶はオリジナルの蝶ですから春の蝶です)一頭上へ上へと舞い上がって、「戻れないな」 と思うくらいの高さに到達したとき、その満足感と少しの虚無感を描いたそうです。

この虚無感というのはちょっと都会的な感覚だと思います。


ところで、楽曲裏話でこんな話がされていました。

千賀さん、横尾さんと夏井先生のコラボが決まったときに、夏井先生の方からいくつか俳句集の候補を出した。その中から選んでもらったところ、千賀さんがこの「蝶」をモチーフとする連作を気に入り、実現に至った。夏井先生としては、これらの句は難解だと思っていたのでちょっと驚いた。

このエピソードに僕は次のような憶測をしてしまいます。

千賀さんは俳句の人である前にjpopの人なので、「蝶」に対して揚羽蝶に代表される夏の蝶のイメージがあるのではないかということです。もちろん、名人ですから知識として「蝶」が春季のものであることはご存知でしょうが、意識下のイメージとしてです。

jpopが一概に揚羽蝶ばかりを取り上げているとは言いませんが、揚羽蝶をモチーフにした名曲は多いように思います。それに、揚羽蝶にはさっき述べたような夏-大人-翳り-都会的といった連想が付着しているのに対し、jpopにおける春の蝶にはそこまで豊かな連想はないのではないでしょうか。

こう仮定してみると、千賀さんが「蝶や今」の句を気に入られた理由もちょっと見えてくるような気がします。

一つは、芸能人という存在がかなり極端に都会的であることや、華々しいステージを目指して血の滲むような努力をされてきたというような千賀さんのアイドルとしてのバックグラウンドがjpopで歌われる「夏の蝶」のイメージと親和性が高いこと。それから、「もう戻れない高さまで」という内容が、そのような都会的なイメージのもとで見ると比較的容易に理解されることです。

夏井先生がご自身でおっしゃった「難解さ」の一つは、俳句の世界の「春の蝶」という「春ののどかさ」のイメージが強いモチーフをそうではない様々なイメージと結びつけて描いておられるところにあると思います。*3

一方その句を、jpopの「夏の蝶」のイメージで眺めるとほとんど難解さはなくて、スッと受け取られたということではないかと思うのです。


色々憶測だけで述べたてましたが、全部僕の妄想であって何一つ真実はないかもしれません。

ただ僕は、この曲を聴く多くのキスマイファンがどんな「蝶」を思い描くかにとても興味を持ちますし、その蝶が揚羽蝶だったとしても「間違いだ」とは言えない、ということ自体を面白く感じるのです。

*1:僕の中で彼らのイメージは「俳句が作れる人」なので、なんだか「歌って踊るんだ!」と新鮮な感じもいたしますんですが

*2:などと言いつつ山本健吉『基本季語五〇〇』ではあらゆる蝶が春の季にまとめられているのでもしかしたら揺れがあるのかもしれません。

*3:他にも客観的な句ではなくて、蝶の主観に成り代わったような主体のあり方など色々な「難解さ」はあると思うのですが